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2009年7月29日水曜日

(チェンマイのセミ)

 カリフォルニア在住の女性の方のブログに、「アメリカに来てから私が住んだことのある地域では、セミの声を全く聞いたことがないです~。」とあった。そして、ふと思った。そういえば、タイでセミの鳴き声を聞いた記憶がないと。それで、「タイのセミ」を検索してみた。タイにもちゃんとセミはいることが確認できたが、タイのセミは夜鳴くらしい。夜鳴くセミ?東京の下町でも、真夜中にジージー鳴いている迷惑なセミがいるが、そういう種類のセミがいるのだろうか?それで今度は、「夜鳴くセミ」を検索してみた。そして分かったのは、セミは種類によって鳴き出す温度が決まっているということだ。温度以外に明るくなければセミは鳴かないが、熱帯夜に明るい場所に止まっているセミは、昼間と勘違いして鳴くらしい。タイのセミが夜鳴くのは、もしかしたら、昼間は暑すぎて鳴く温度の上限?を超え、寝ているからなのかもしれない。そもそも、セミが鳴くのはオスがメスを呼ぶためだから、夜の方が適しているような気もする。
 ニュージーランドでホームステイをしていた時、その家の一人娘の名前がシェキーナだった。音が何となく似ているので、よくスィケイダ( cicada セミ)と言ってからかった。タイ語でセミはチャッカチャン( จักจั่น )と言うが、何とも可愛らしい音の響きだ。



2009年7月24日金曜日

み~んな家族


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 小さな男の子に、「ぼく、いくつ。」とか「ぼく、名前は?」と聞いたりする。もちろん、この「ぼく」は話し手ではなく、男の子を指している。一人称の代名詞を呼称に用いているのは、視点(立場)を男の子に置いているからだ。
 タイ語の呼称について、少し考えてみよう。上の例の「ぼく、いくつ。」をタイ語で言うとどうなるか。おそらく、「ぼく」を「ネズミ」に換えて、「ネズミ、いくつ。」とすればよい。ヌウ(ネズミ หนู )は子供や女性が自分を指すときの呼称であり、親や先生、年配の人が子供や若い人を呼ぶときの呼称でもある。ヌウ普通名詞だが、「視点」の考え方からすれば、日本語の「ぼく、いくつ。」と同じということになる。
 タイ語では、ピー(兄, 姉 พี่ )を目上の人に対する呼びかけ、ノーン(弟, 妹 น้อง )を 目下の人に対する呼びかけに遣う。面白いのは、必ずしも実際の年齢にこだわる必要がないということだ。相手が年下だと分かっている場合でもピーと呼ぶことがままあり、その結果、二人でピー・ピー言い合うことになる。
 デツ(ク)( เด็ก )は「大人」に対する「子供」、ルー(ク)( ลูก )は「親」に対する「子供」であり、血縁関係があるかないかで区別する。しかし、このルークも、血縁関係のない子供に対する呼びかけに遣われるのだ。小さな子供に対してだけでなく、老人が成人に対して遣ったりする。これは、婚姻関係があるなしにかかわらず、フェーン(恋人; 配偶者 แฟน )を用いるのと通ずるものがある。
 タイのホラー映画で、在家信者が僧に対してポー(父親 พ่อ )と呼びかける場面を一度ならず見た。[注: タン(あなた; あの方 ท่าน )と呼ぶのが無難なようだ。]
 呼称に血縁関係のある語を遣うというのは、村を単位とした共同体意識、同族意識の強さが言葉に反映したものなのかもしれない。日本人の私にはそれほど違和感がないのだが、どうだろうか。

2009年7月22日水曜日

黒い影


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 ニュージーランドの南島北部、ネルソンという大学町にいた時、日本語を勉強している女子大生に「黒い」と「暗い」の違いは何だと質問されたことがある。 black とdark の違いだと説明しても 、彼女は納得しない。 電気の消えた部屋の中に入った時、「黒い。」と言ってはなぜいけないのかと悩んでいる。英語の black には、「真っ暗な, 闇の」、「陰気な」、「暗闇」という dark と同じ意味があるからだ。また、 日本語の「黒い服」と「暗い服」では意味が違ってしまうが、dark suit は必ずしも「陰気な」スーツを意味しないだろう。
 「影」と「陰」の違いはどうだろうか。「影」は shadow で「陰」は shade と訳すのが一般的だが、 live in the shadow (ひっそりと暮らす) の shadow は、「陰, 暗がり, 人目につかぬ所」の意味で使っているのだ。
 パープ・ガオ( ภาพเงา )という名前の女性に会った。「影」という意味だ。「陰」はタイ語でロム・ガオ( ร่มเงา )と言う。パープは「画, 絵」、ロムは「傘」だから、違いが分かりやすい。夫の影となり、支えて生きるということか。

2009年7月2日木曜日

わざとじゃない



 タン・チャイ( ตั้งใจ ) は「志す、~のつもり」という単語だが、「一生懸命に」というような意味でも使い、「一生懸命に勉強する」はタン・チャイ・リアン( ตั้งใจเรียน ) となる。
 一緒にいた女性が、まだ開けてないビール瓶を倒して割ってしまった。その時、彼女はこう言った。
 マイ・タンチャイ( ไม่ตั้งใจ )
 この場合のタン・チャイは、「わざと、故意に」という意味だ。マイは否定語だから、「わざとじゃない。」ということになる。
 「偶然に」は、ドーイ・バングーン( ดโยบังเอิญ )と言う。


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 虫の名前にマレーン( แมลง 「昆虫」)が付くものとメーン( แมง )が付くものがあるので不思議に思っていた。例えば、トンボはマレーン・ポー( แมลงปอ )で、サソリはメーン・ポーン( แมงป่อง )だ。
 本で調べたら、ちゃんと違いが載っていた。マレーンは3対の脚のイメージで、メーンは4対以上の脚のイメージとある。また、カブトムシやクワガタなどの甲虫の名前にはドゥアン( ด้วง 「甲虫」)が付く。ドゥアン・ヤイ( ด้วงใหญ่ 「甲虫」+「大きい」)がカブトムシだが、ドゥアン・タオ( ด้วงเต่า 「甲虫」+「カメ」)は何だかお分かりだろうか。
  (อะไรเอ่ย な~んだ?)
 答えは、「テントウムシ」。但し、マレーン、メーン、ドゥアンのいずれも付かない虫は、たくさんいる。


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