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2009年11月6日金曜日

スペシャルドリンク


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 三十四歳の女詐欺師に続いて、今度は三十五歳、元ホステスの知人男性の連続不審死が世間を騒がせている。どうやら、この二人の女が持っていたのは、ハルシオンという超短期作用型(作用時間は約2時間)の睡眠導入剤のようだ。即効性のあるこの薬はコム・クーン( ข่มขืน レイプ)などの犯罪目的に使われることもあり、イギリスでは発売が禁止されている。昔はタイでハルシオンを購入して日本に持ち帰ることができたが、今ではハルシオンの国内持ち込みは規制されている。但し、インターネットで個人輸入業者から買うのは問題ないらしい。
 「睡眠薬」のことをヤー・ノーン・ラッ(プ)( ยานอนหลับ )と言う。ヤーは「薬」、ノーン・ラッ(プ)は「眠る」だ。また、「(薬が)効く」はダイ・ポン( ได้ผล )と言う。
 四、五年前、チェンラーイのナイトバザールでビールを飲んでいると、日本人のS氏が犬を連れて現れた。S氏は、私の前に置かれたビール瓶をチラリと見てから隣に座ると、全然躾のできていない犬のリードをグイッと引っ張った。そして寂しそうに、「お金が無いんだよね。」と言った。犬の散歩に出かける前、タイ人の奥さんから数十バーツの小遣いしかもらえなかったそうだ。アル中のS氏が酒を飲めないのはさぞかし辛いだろうと思い、ビールの大瓶を二本注文した。
 グラスに注がれたビールを美味そうに飲み干した後で、S氏はガクッとうなだれた。チョーン( โจร 強盗)に遭ったのだそうだ。
 一人でバンコックに遊びに行ったS氏は、悪名高き日本人街タニヤのバーで、店の女と気持ちよく飲んでいた。次第に酔いが回り、どこでどうなったのか、気が付いた時には遅かった。裸で道路に寝ていたのだ。昏睡強盗である。当然のように、現金もカードも高級腕時計も無くなっていた。「なんか変な味がする酒だな~と思ったんだけど……。」そう言って、S氏は自嘲気味に笑った。チェンラーイにいる奥さんに電話してバンコックまで来てもらい、大変だったらしい。犯人の女は捕まらなかった。保険に入っていたので、いくらかは戻ったらしいが、それ以来、奥さんには頭が上がらなくなってしまったそうだ。

2009年11月1日日曜日

ให้ を斬る


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 読者から(ให้ ) についてのご質問をいただいた。確かに曲者だ。私なりに、基本的な意味・用法をできるだけ記憶に残るかたちで探ってみようと思う。

(1) give 系( ให้ ) 「あげる」 「くれる」

 授与動詞の give が目的語を二つとる場合、間接目的語(~に)+直接目的語(~を)の語順になる。 I gave him a present. 「私は、彼にプレゼントをあげました。」
 タイ語では、この二つの目的語の語順が逆になり、( ให้ )+と言う。
ポム・ハイ・コーン・クワン・カオ( ผมให้ของขวัญเขา )
 但し、「人に金額(~円、~バーツなど)をあげる」と言う時には、( ให้ )+金額になる。これは、( ให้ )+(お金)金額の「お金」が省略された表現である。
ポム・ハイ・ングン・カオ( ผมให้เงินเขา ) 「私は、彼にお金をあげました。」
ポム・ハイ・カオ・ソーン・ローイ・バー(トウ)( ผมให้เขาสองร้อยบาท ) 「私は、彼に 200 バーツあげました。」

【補足】

 「もらう、受け取る」は、を使う。 get , receive に相当する。

(2) make 系( ให้ ) 「(…)させる」

 使役動詞の make は、make+目的語+do で「<人・物に>(…)させる」 という強制・使役の意味で用いられる。
I made him work. 「彼に働かせた。」
 タイ語でも、「AはBに~させる」は、 A+( ให้ )+B~と言う。
ポム・ハイ・カオ・タム・ンガーン( ผมให้เขาทำงาน )
 英語の make との違いは、A (主語)が人間に限られることだ。
This story made him cry. 「この話は、彼を泣かせました。」
 この文の主語は人間ではない。主語が人でないとき、make に強制の意味はない。彼は、何らかの話を読むか聞くかして泣いたのであって、強制されて泣いたわけではない。 タイ語で同じことを言うと次のようになる。
ルアン・ニー・タム・ハイ・カオ・ローン・ハイ( เรื่องนี้ทำให้เขาร้องไห้ )
 主語が何かにかかわらず、「AはBを~(の状態)にする」は、A+(ทำให้ )+B~ と言わなければならない。英語の cry は状態動詞ではないが(日本語の「泣く」も状態動詞ではない。)、タイ語では、「泣く」や「驚く」などは状態と捉えるようだ。ニュアンスとしては、「泣くように仕向ける」だ。「料理をおいしくする」など、B には形容詞も置かれる。

【補足】

は「私に行かせてください。」 だから、使役動詞の let (許可・容認) に似ている。

(3) and 系( ให้ ) 「~して…にする」 「…になるように~する」

 動詞+(目的語)++形容詞の語順で用いられる。時間的な順序・結果を示す and と、意味の上で似ているかもしれない。
タッ(トゥ)・ポム・ハイ・サン( ตัดผมให้สั้น ) 「髪を短く切る」
ケー・ハイ・トゥー(ク)( แก้ให้ถูก ) 「正しく直す」

(4) for 系( ให้ ) 「~に」 「~のために」

 「~に…してあげる」や「~に…してくれる」といった、行為の授受を表す文で使われる。前置詞としての用法だ。
He bought a watch for me. 「彼は、私に時計を買ってくれました。」
カオ・スー・ナーリカー・ハイ・ポム ( เขาซื้อนาฬิกาให้เผม )

【補足】

 英語では、相手がいなければ成立しない動作の場合は to を使う。
 授与の方向を示すときには、(~に対して)や(~に)も用いられる。


【注】 一人称と二人称の代名詞は省略されることが多いが、混乱を避けるために省略なしの文を載せた。 会話では、「買ってあげる」とか 「おごってあげる」のような表現が目立つ。 また、を含む慣用表現も割愛した。

2009年10月31日土曜日

必殺煮込み人?


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 連日、三十四歳の女詐欺師の報道が盛んだ。以前、似たような女のブログを見たことがある。自慢げに高級ブランド品や建物の権利証の写真などを載せて、読者から顰蹙を買っていた。その女は精神的にかなり病んでいるようで、見えざるストーカーの被害妄想に苦しんでいるようだった。
 さて、タイ語で「詐欺」はカーン・チョー・コーン( การฉ้อโกง )と言う。カーンは動詞に付けて名詞化する語で、チョーは「騙す, 欺く」、コーンは「不正な, 曲がった」という意味だ。
 「詐欺師」のタイ語が面白い。コン・トム・トゥン( คนต้มตุ๋น )だが、コンは「人」、トムは「煮る」、トゥンは「長く煮込む」という意味。
 いや、笑いごとではない。じわじわと時間をかけて煮込まれた男の方は悲劇だ。その上練炭まで使われたのでは、浮かばれないだろう。

2009年10月27日火曜日

日タイ対抗ロケット祭り


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 毎年、陰暦6月の雨季の初めに、タイ北部、東北部やラオスなどの村で行われる伝統的な雨乞い儀礼がある。ブン・バング・ファイ( บุญบั้งไฟ ) という「ロケット祭り」がそれだ。
 ブンはタム・ブン(徳を積む)のブン(徳)で、打ち上げるロケットのことをバング・ファイ(ファイは火) と呼ぶようだ。因みに、一般的なロケットはチャルアッ(トゥ)( จรวด )と言う。
 地区や村ごとに竹筒に火薬をつめた手製ロケットを打ち上げ、滞空時間を競い合う 。 ロケットは竹とプラスチックなどで作られ、全長5メートル、重量6キロほどあり、落下時にパラシュートが開くようになっている。(パラシュートが開かないで落下したり、発射台から水平方向に飛んだりして、たびたび死人が出る。)
 タイ東北部ヤソートン県の「ロケット祭り」には、1997年に結成された「秩父吉田ヤソトン会」のメンバーも参加している。埼玉県秩父市で行われる「龍勢まつり」は「椋神社秋の大祭」に奉納する神事で、龍勢と呼ばれる手作りロケット(通称農民ロケット)を打ち上げるのだ。二十七の流派があり、毎年三十数本の龍勢を轟音とともに天高く打ち上げる。戦国時代さながらに各流派の幟が立つが、龍勢(流星)の起源は狼煙(のろし)だ。
 また、静岡県の岡部町というところに、古くから伝わる「朝比奈大龍勢(あさひなおおりゅうせい)」という伝統行事がある。現在はニ年に一度、六社神社の祭典に合わせて、櫓から龍勢が打ち上げられている。
 日本の龍勢はただ高く飛ぶだけではなく、いろいろな仕掛けが施されている。まるで花火を見ているようで、たいへん美しい。

2009年10月26日月曜日

関係代名詞 ที่ に物申す


 
 タイ語の辞書を眺めていたら、「オナニーをする」という見出し語に目が行った。チャッ(ク)・ワオ( ชักว่าว ) とある。あれ?どこかで聞いたようなと思い、記憶を頼りに別の本のページを括ってみた。あった。「たこ(凧)を揚げる」と載っている。タイ文字も間違いなく同じだ。きっと、「男が」ということだろう。日本語だと「テントを張る」だろうか。思いがけない発見で、なんだか得をしたような気分になった。「女が」も知りたくなったが、残念ながら見当たらない。もしかしたら、女も「凧揚げ」をするのかもしれない。
 「枕」はここまでにして、本題に入ろう。最近ある疑問が虫のように湧いて、私の頭の中で蠢いているのだ。 それは、「ティー( ที่ )は本当に関係代名詞でいいのか」というものだ。
 以前、 次のように書いたことがある。

 コン・ティー・ルー・チャイ( คนที่รู้ใจ )

 コンは「人」、ルーは「知る, 知っている」、チャイは「心」だ。ティーは英語の関係代名詞(主格)にあたる。つまり、「心を知っている人」になる。 自分の心の内をよく知ってくれている人。すると、友達以上恋人未満ということか?よく考えたら、日本語でも「気心の知れた人」と言ったりする。
 単なる「知り合い」なら、コン・ティー・ルーチャッ(ク) ( คนที่รู้จัก )だ。

 いわゆる(英語の)関係代名詞というのは、直前の名詞・代名詞(先行詞)の代わりをする代名詞の働きをし、先行する節に係るという関係を示すものだ。上の場合、コン「人」が先行詞ということになり、敢えて英語に直訳すれば、 a person who knows (my) heart だ。
 「送っていただいてありがとうございます。」のコー(プ)・クン・ティー・マー・ソン( ขอบคุณที่มาส่ง )も、送ってくれたのはクン「あなた」だから、「主格」の関係代名詞として説明できる。それでは、次の表現はどうだろうか。
 コー・トー(トゥ)・ティー・ロッ(プ)・クアン(ขอโทษที่รบกวน)
 「迷惑をかけてすいません。」というこの文には、先行詞がない。謝るのは「あなた」に対してであり、「私」が「あなた」に迷惑をかけたのだから、ティー( ที่ )を「目的格」の関係代名詞と解し、コー・トー(トゥ)・クン・ティー・ポム・ロッ(プ)・クアン という文のクン「あなた」とポム「私」の省略と考えるべきなのだろうか。
  クン・カオチャイ・ティー・ポム・プー(トゥ)・マイ( คุณเข้าใจที่ผมพูดไหม )
 「私の言うことがわかりますか?」という文にも、先行詞にあたる「こと」がない。このティー( ที่ )などは、関係代名詞の what ( = the thing which , the things which )に相当するのだろうか。
 接続詞 that のような働きをするワー( ว่า )の用法との違いは分かるが、ティー( ที่ )が出てくる度に、頭の中の虫がもぞもぞと騒ぎ出すのである。
 もっとも、タイ語は英語と違い、中国語と同じ格変化を持たない孤立語に分類されるのだから、考えるだけ無駄なのかもしれない。 しかしそれなら、「関係代名詞」という呼び方は適切ではないようにも思うのだが。

2009年8月18日火曜日

シヴァリンガ


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 (日本人男性が)タイの喫茶店でウェイトレスに「コーヒー」を注文すると、いきなりひっぱたかれるか、セクハラで訴えられる可能性がある。
 (日本人女性が)タイ人の男性に「怖い」と言うと、はしたないと思われるか、その場に押し倒されて服を脱がされる可能性がある。

 コ-・ヒー( ขอหี )のコーは 「~を下さい」、ヒーは「膣, 女性器」の卑猥語だから、日本人が「コーヒー」と発音すると、「エッチさせて。」という意味になってしまう。また、「イモ」も女性器の隠語なので、市場で芋を見つけても「イモ!」と叫んではいけない。
 「水牛」はクワーイ( ควาย )、「バナナ」はクルーアイ( กล้วย )だが、クワイ( ควย )は「陰茎, ペニス, 男根」のことだ。この三つは発音の区別が難しくて、どれも「コワ(ー)イ」のように聞こえる。
 だから、女の子がゾウの長い鼻に恐る恐る触れながら「コワーイ 。」と言ったり、タイ人男性の部屋でホラー映画のビデオを見ながら「コワ~イ。」と言ったりしてはいけない。

 



 バンコックのカーオ・サーン通りの露天などで、男性生殖器を象った木製のお守りが売られている。パラッ(トゥ)・キッ(ク)( ปลัดขิก )といい、「暮らしのタイ語単語7000」(佐藤正透 語研)によると、「これを着けると不死身の体になり、女運も良くなる」らしい。そんなに有難い物だとは知らなかった。今度タイに行った時には、忘れずに買うことにしよう。
 ところで、このお守りは「シヴァリンガ」が起源のようだ。シヴァはヒンズー教の三最高神の一柱で、破壊を司る神だ。リンガはサンスクリット語で「男根」の意味であり、シヴァの象徴とされている。



 「シヴァリンガ」は、リンガと「女陰」の象徴であるヨーニの二つの部分からなり、性交した状態を示す。ヒンズー教では生命原理の最高のシンボルとされ、シヴァ神が女性と性交をして現われたのがこの世界で、それが我々の住んでいる世界という意味になっている。
 挿入されたシヴァのチンコを膣の内側から拝見して、礼拝することになる。真に有難い。(合掌)