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2009年1月23日金曜日

ท่านทั้งหลาย みなさん!

 日本語には人称代名詞の数が極めて多い。共同体の観念、同族意識の強い民族性を反映し、「自」と「他」、「ウチ」と「ソト」とを区別して使い分ける言葉が非常に多い言語とも言える。英語を教えていると、例えば「彼女は、自分の部屋を掃除した。」を英語に訳す場合に、She cleaned my room. としてしまう生徒が結構いる。「自分」という言葉は再帰的な代名詞でその文の主語と一致するということが、日本人でもあまり意識されていない証拠だ。「自分」にはもともと人称がない。だから、「自分」という言葉には一種の曖昧性が含まれているのかもしれない。更に言えば、「私は」というところを「自分は」と単数一人称で使っている時には、意識的にせよ無意識的にせよ、自己を曖昧にして 客観視するという狙いがあるのかもしれない。
 前置きが長くなったが、私が最近気になっているタイ語の人称代名詞がある。日本語ほどではないが、タイ語にも多くの人称代名詞や呼称がある。マン(มัน 芋・油)に「あいつ」(動物などを指して「それ」)という意味があることは以前書いた。そして、ヌウ(หนู ねずみ)が二人称の呼称(一人称呼称)に使われることにも少し触れた。気になっているのはタン(ท่าน)という人称代名詞だ。このタンという代名詞は、(親しくない)目上の人やお客に対して「あなた」で使ったり、「あの方」という意味で使ったりする。もうひとつ、トゥー(เธอ)という代名詞があり、これは「彼女」で使ったり、親しい友人や恋人の間で「きみ」で使ったりする。 この二つの代名詞に共通しているのは、両方とも二人称にも三人称にも使えることだ。タンはタン・タン・ラーイ(ท่านทั้งหลาย)で「みなさん!」という呼びかけでも使うので、あえて話し相手を第三者の立場「あの方」に置き換えることで、敬い高めるのだろうか。また、トゥーは「彼女」に当たる言葉を相手に使うことで、親しみを込めるという効果があるのか。
 ニュージーランドに留学中の一時期、ニュージーランド人の一家の離れを借りて住んでいたことがある。私の部屋には電話がなかったので、たびたび友人たちから母屋の方に電話が入った。そのことを詫びると、まだ若い旦那がこう言った。She is all right. その後も、こちらが何か礼を言ったり詫びたりすると、彼は決まって She is all right. と言った。友人のニュージーランド人にこの She の使い方を聞いたら笑っていた。かなりトッポイ表現のようだ。もしかしたら、タイ語のトゥーと共通する面があるのかもしれない。
 血縁関係の有無に関わらずにピー・ノーン(兄弟姉妹 พี่น้อง)を呼称に使ったり、婚姻関係に関係なくフェーン(恋人や配偶者 แฟน)と呼んだりするタイ人は、日本人よりも「曖昧」を好む民族なのかもしれない。

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